万年筆で書く
日々見て、ふれて、感じたことを、ウソのつけない筆記具で。since 2007.Feb.
2018/04/12(Thu) 11:57  鮪は赤身
鮪は赤身
【この投稿は、「雷屋」の文章を「白雨」が清書しました。】

●2018年4月12日(木曜)
「万年筆で書いてもらう その10」

鮪は赤身

クロマグロの赤身がとても好きだ。
刺身にするなら厚めに切りたい。
トロなどとは違って、舌に運んだときに
張り付くような重さを感じたいからだ。
歯を立てたときのモチっとした弾力、
噛むごとの旨味とほのかな酸味、
そしてコク味の最後にふわっと渋味が香る。
こうしたそれぞれを楽しみながら味わうのが至福だ。
ただ一つ残念なのは
ここまで上等だとやっぱり値が張るんだよね。

マグロはうまいよねー。
でも贔屓にしていた寿司屋が暖簾をたたんでしまってからは
寿司屋からも遠ざかっているので
このような上質なマグロはしばらくご無沙汰です。
仲買業者と調理人の目利きと技術が優れていないと
ボクらの口には入ってこないので
信頼できるお店がなくなってしまうのは寂しいですな。

ところで、マグロマグロとわめいておりますが
お魚大好物ランキングではマグロが1位ではありません。
マグロを含め、青魚はどれも大好きですが
「魚でいちばん好きなのは何ですか?」と質問されたとき
丁寧に答えられる場合はこう答えています。
「極上のタイと旬のアユを別格にしたら青魚全般と鰻です」と。
つまり、マグロよりはタイなのですよ。
しかし極上のタイはやっぱり値が張るんですよ (T ^ T)
だからね、せめて一切れでもと思って腰をあげようとしても
贔屓の寿司屋はもうないんですよ (T ^ T)
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2018/04/06(Fri) 10:49  夜桜
夜桜
【この投稿は、「雷屋」の文章を「白雨」が清書しました。】

●2018年4月6日(金曜)
「万年筆で書いてもらう その9」

夜桜

「ライトアップしても花びら見えないしね」
夜桜が好きじゃないと言う女性の言い分です。
確かにライトアップしたってそれは見えませんよ。
でも、どんちゃん騒ぎのお花見でなければ
夜桜で際立ってくるものがあります。
目の前でいま咲いて揺れている花と
それらが数日のうちに散ってしまうこと。
夜空にぼんやり浮かび上がることで
その幽玄の世界が大きく扉を開けてくるのです。
夜桜はね、もののあはれと向き合う時間なのですよ。

こうした感性は日本人特有のものだと感じていましたが
彼女のその一言で少し心が揺れました。
夜桜のライトアップをクリスマスのように
あるいはエレクトリカルパレードのように照らすことなく
多くは夜の闇に柔らかく浮かび上がらせるように光を当てる。
それこそが日本人が共有できる桜感だと思っていたからです。
夜桜は夜空に浮かび夜風にゆれて
命の儚さや世の無常を心に投影させる。
幽玄を見いだした先達たちが後世まで残した
季節限定の催眠装置という遺産なのだと思っているのですよ。
でも、いずれこの感性が消えてしまう時が来るのかな。
ふとそう感じてしまう一言でした。
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2018/03/30(Fri) 10:48  実家のカレー
実家のカレー
【この投稿は、「雷屋」の文章を「白雨」が清書しました。】

●2018年3月30日(金曜)
「万年筆で書いてもらう その8」

実家のカレー

ガキの頃「今日は晩ごはん食べていきなさいよ」と
遊んでいた友人宅で誘われ何軒ものカレーを食べた。
その時の感想は「ウチとは違う味だな」だった。
当時はどの家もバーモントやジャワだったろう。
しかも素材の野菜や肉だってそんなに違わない。
作り手の手間のかけ方や手の抜き方、
水の量や煮込み時間の違いでそんなに変わるか?
そんなことをいま思い出している。
どこにでもありふれているのに
同じものに出会うことは難しいのですよ。

家庭の味が愛されるのはこういう理由もありますね。
自分の家のほかにその味がないというのは魅力的だ。
それが気に入っている味ならなおさらだ。
お宝は意外と身近にあるのかもしれません。

ちなみに、ガキの頃の我が実家のカレーがなにかと考えたら
肉は豚バラ肉のスライスで野菜は大きめカット
ルウはバーモントの辛口で粘度はややゆるめだったかな。
辛さが欲しいときには
アツアツのご飯の上に一味唐辛子をふりかけ
その上からカレーをかけてもらったはずだ。
「そんなに唐辛子をかけたらバカになるよ」と言われながらね。
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2018/03/16(Fri) 10:40  どんぶらこどんぶらこ、と…
どんぶらこどんぶらこ、と…
【この投稿は、「雷屋」の文章を「白雨」が清書しました。】

●2018年3月16日(金曜)
「万年筆で書いてもらう その7」

どんぶらこどんぶらこ、と…。

昔昔から、ある川の畔に村がありました。
変わり者の老夫婦の他は村人はみな臆病で
時折上流から流れてくる大きな果実を
見て見ぬふりをしては下流に流していました。
やがて大きな果実は河口近くの島に流れ着き
村人たちと交流を持たないまま数は増え
独自の文化を築くようになっていきました。
それに気づいた村人たちは異形の文化を畏れ
さらに「触れざる存在」として
無視した者を鬼、住処を鬼ヶ島と呼んだのでした。

僕らはもう少し
他者に関心を持ったほうがいいかな。
セクシャルハラスメントやパワーハラスメント、
後はモンスターペアレントなどもそうだが
自分や自分の家族を過剰に守ろうとするのは
なんだか痛々しく見えるよ。

さて、言いたい事は言ったので
話題を変えて「どんぶらこ」ですよ。
「どんぶらこ」は水面を浮き沈みしながら
物が流れてくる様子を表す擬態語ですが
現代においてそのような場面に出くわしても
「怪しい箱がどんぶらこと流れてきました」
なんてことは言いませんよね。
多くは「ぷかぷか流れてきました」でしょう。
「どんぶらこ」の方がふさわしいのにね。
これはやはり「桃太郎」のせいですよ。
今更いい大人が真面目な顔して
「どんぶらこどんぶらこ」なんて言えないもんね。
だからみんな言わなくなってしまう。
そしてついに「どんぶらこ」は
単一の意味を表す言葉になってしまうわけです。

もしお知り合いに外国の方がいたら
こう伝えてみてください。
「日本語には、
人間の大きさほどもある巨大な桃が
川から流れてきたときにだけ使う
単語があるんだぜ」と。
きっと「クレイジー!」って顔をすると思いますよ。
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2018/03/09(Fri) 10:35  しめおでん
しめおでん
【この投稿は、「雷屋」の文章を「白雨」が清書しました。】

●2018年3月9日(金曜)
「万年筆で書いてもらう その6」

しめおでん

おでんが好きなのです。
練り物と少しの野菜と白滝で大満足。
寒くなるとしょっちゅう作るのですが
「今夜はシメまで食いたいな」となると
鍋の中のおでん種を計画的に残すようにします。
「アレとアレを残して作ろう」と。
残した種を包丁で細かく切って鍋に戻し
ご飯とともに「おじや」にするのです。
茶碗に盛って辛子をつけて、かっこむ。
思いきり辛子でむせたりしますが、至福なのです。

いやいや3月ですよ。
春になると「おでん」が少し遠ざかりますね。

さて、2行目に「練り物と少しの野菜と白滝」と書きましたが
オレのおでんは本当にこれだけで十分なのです。
要らないんですよね、ゆでたまごってやつが。
というか、卵料理の中で「おでんのゆでたまご」が最も嫌い。
ぼそぼそ感が強くなって口に合いません。
万が一入れるのなら、卵焼きのほうがうまいと思っています。
ふっくらとジューシーに焼いた出し巻き卵や
きざみ野菜を混ぜて焼いた薄焼き玉子などを
サッとおでんのつゆにくぐらせていただく。
こっちのほうがはるかに好みです。

以前、とある地方のおでん屋さんでは「ニラ玉」がありました。
おでんつゆの香りをまとったニラ玉をほおばり
冷やのコップ酒をくいっと放り込んだ時のうまさは絶品でしたよ。
「おでんといえばゆでたまご」という思いにとらわれずに
卵焼きでもお試しください。
そしてどうかぜひ、締めはおじやで。
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