万年筆で書く
日々見て、ふれて、感じたことを、ウソのつけない筆記具で。
2008/08/27(Wed) 22:58  3メートルの距離で
3メートルの距離で
「ブログってどんなことをテーマに始めたらいいの?」
なーんてことを聞かれるとは思わなかったけど、こう答えた。
「自分の場合は、自分のことを書きながらも、
テーマから3メートルは離れていこうと思ってるよ」と。
例えば「今日はこんなごはんを食べました」なんて、
写真を添えて並べるのが自分半径1メートルだとしたら、
そこからあと2歩くらいはどこかに進もうと…。
だって、そんなテーマはブログ界にあふれすぎじゃん。
どっかの誰かと同じことをやって一体何が楽しいんだって…。
でもその距離まで広げようってのはムズカシイんだよね。

自分半径3メートルから5メートル。
この範囲まで上手に広げていければ、自分の言葉として伝えられる。
そう思っているんですよ。
まぁ、はっきり言って、
ここまでのこのブログ記事では半分くらいしか出来ていませんけどね、
それでも、そう思っているんです!
そうしなければ、自分がやる意味がないと…。
自分と同じようなセンスのどなたかがアップしていけばいいんだと…。
だけどやはり、人の数だけセンスの違いはあるわけですから、
やる以上は徹底的に違うことを表現していきたいのです。
だから最初にイメージしたのは「自分半径3メートル」の距離感。
身の回りの友人や知人の他にも目に留めてもらいたいなら、
ここが不可欠なんじゃないかと思ったのです。
「ブログってどんなことをテーマに始めたらいいの?」と聞いてきた友人には、
ここまで話しをしたんですけど、さぁ友人がどんなブログを始めるのか?
これは楽しみですよ。
ワタクシのこ〜んな頑固なコンセプトを吹き飛ばすようなブログ。
それが出来るかもしれないし。
そんな友人なので、ちょっと期待しちゃってもいます。
ただこの人、忙しいんだよねぇ…。やらないかもなぁ…。


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2008/08/26(Tue) 19:43  狛犬
狛犬
骨董市で狛犬を競り落としちゃいました。
古い銅製の小さな一対。
初見で引きつけられ、ジックリ見てなお……でした。
炎のように巻き上がって立つ尾なんて、最高。
顔もなかなか。躍動感がみなぎっている。
特に「阿形」の跳ね上がるような表情が気に入った。
あっちこっちから眺めたり、なでてみたりしながら、
「阿吽」「アルファとオメガ」「零と無限」などを思索するのも楽しい。
何かと面倒ごとを押しつけられる昨今なので、
押し寄せる禍事を払っていただきたいなぁ……。

寺社の山門に立つ仁王像と同様に、狛犬も「阿吽」の形をしています。
「阿」は、口を開けて放つ最初の音。
「吽」は、口を閉じた最後の音。
仏教ではこれを「一切の始まりと一切の終わり」としているんですよね。
同じような世界観は「聖書・ヨハネの黙示録」にも登場します。
「わたしはアルファであり、オメガである。初めであり、終わりである」
これは確か「全能の存在であるところの方」が仰ったんでしたよね?
なんかちょっとアヤシイな……(つっこまないで下さいね)。
と、まぁそんなことに思いを馳せているとですね、やっぱり行き着くわけですよ。
「宇宙」ってものに。
「宇宙の始まりも終わりも判らないからこういう思想が残るんだ」と。
個人的には、そのへんのことは無関心なようでいますが、時折気になる。
宇宙の始まりってやっぱり知りたいじゃないですか。
最近「こういうことなんじゃないかな」って思っていることを書くなら、
この宇宙のようなものは「泡の一つの空間」のようで、
全方向に隣り合った別の宇宙があるのではないかっていうことだなぁ。
それぞれの宇宙の間には泡同様に石鹸水の膜のようなものがあって、
何かの拍子でその膜の一部が破れると、
その時の破裂のエネルギーがビッグバンとなってもう一つの気泡を作り出す。
ビッグバンのエネルギーがこの宇宙の外から流れ込んでくるんだと考えると、
「宇宙は無から誕生した」なんてことも頷けるかなぁって思うわけです。
じゃぁ、その泡全体の外側は?
と聞かれても、こりゃぁ想像すらできないです…。
でもまぁ、ビールの泡が誕生・破裂・誕生を繰り返しているのを見ているだけで、
こんな妄想もムクムクと湧いてきちゃうんですよ。
そんな思索の大宇宙、ビールはただいま冷蔵中、今夜も飲みますよっ!
肴は「豚の角煮」です、狛犬なでながら…。


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2008/08/24(Sun) 23:53  私見
私見
すごいけど野暮、すごいけど下品。
そう感じた感性を失わないようにしたい。
と思いながら閉会式を見た。
北京五輪、終幕。
多くの感動と、深い後悔をありがとう。

今日も明日も笑いながらメシが食える…。
そんな国にいて、こんなこと書いてごめんなさい。

いずれ少しずつ、様々な何かが明らかになっていくでしょう。
少しずつでも、そうなっていくと信じたい…。
自分が、そんなことに目をつぶらない国の国民なのだと信じたいよ。
せめて。


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2008/08/22(Fri) 08:43  丸ごと洗う
丸ごと洗う
忙しいとは言っても、まだ運動する時間くらいはある。
朝、2時間くらい走ったり歩いたりで、汗かいてスッキリ。
だけど今朝はすごく暑かった…、ってことにして欲しい。
帰宅後、ふと目に止まった愛用のディバックを
「そうだ、こいつも洗わなきゃな」と思い立って、
中身を全部取り出してスッポリと洗濯機へ。
でもって「洗いのみコース」スイッチオン!
「ディバックさんがグルグル回ってるよぉ」と呑気に眺めながら
「あっ、丸洗いしちゃっていいんだっけ?」と気づいて不安に…。
「やっちまったか!?」とビクつきながら、いま陰干し中っす。

今朝、実際は涼しかったんです…。
だから、暑さのせいなんかではなく…。
でもまぁ、型くずれなどはしていないようなので大丈夫でしょう。

愛用のディバックは「THE NORTH FACE」の「BOREALIS」です。
容量30リットルで、940グラム。
スタンダードなタイプのものの中でこれを選んだのは、
両サイドにメッシュポケットがついていて、
ドリンクホルダーに最適だと思ったからでした。
ですが、今はその片方には折りたたみ傘を常備してあるので、
ドリンクホルダーに使うのは片方だけです。
あと、ラップトップパソコンなどを運ぶこともあるので、
中の底には衝撃吸収ゴムの「ショックノン」を敷きました。
その他、あちこちを使いやすくいじって育ててきたディバックなのです。
なのでどうか、何事もなかったかのように乾いて下さいませ。


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2008/08/20(Wed) 17:35  かみなりを名乗る者として
かみなりを名乗る者として
東京国立博物館の「対決 巨匠たちの日本美術」、
最後の一週間だけに登場した「風神雷神図屏風」を見た。
俵屋宗達筆の国宝と尾形光琳筆の重要文化財、
二人の「風神雷神図屏風」を並べて展示する趣向だ。
二つはかつて出光美術館で並べられたことがあるのですが、
その時は行くことが出来ず、念願だったのです。
二重三重の人垣をかきわけ、両方の雷様にごあいさつ。
「かみなり屋などと名乗っているケチな野郎でしてどーも…」
なんて感じで近寄ると、宗達筆の方はグーッと迫ってきて、
光琳筆の方はギロッと睨んできた。電撃くらったよぉ。

「風神雷神図屏風」を最初に描いたのは俵屋宗達で、江戸時代の初期のこと。
その後、およそ百年後に尾形光琳が自分らしく模写しました。
金箔の上に、雲にのった風神と雷神がそれぞれ右と左に描かれている。
これが二つの作品の共通のことで、細かい部分はかなり違う。
宗達のものは、屏風からはみ出しそうな構図とスピード感のある雲の表現で、
風神と雷神が飛んでいる空間の広さが感じさせられる。宗教的な宇宙だ。
対して光琳のものは屏風全体にすべてが収まるように描かれ、
乗っている雲は積乱雲のように盛り上がった黒雲。どっしりとした世界だ。
しかも、重厚な調和をより安定させているのが視線の描き方で、
宗達の方はお互いの視線は合っていないのだが、光琳の方は合っている。
琳派を確立した宗達の時代・江戸初期から百年が経ち、
より様式美を求めるようになっていったってことなんだろうか…?

2008年の夏に巨匠たちの作品を並べて展示する特別展を企画したのは、
北京オリンピックの開催があることと無関係ではないだろうとも推察。
この「俵屋宗達vs尾形光琳」はじめ、
「運慶vs快慶」「光悦vs長次郎」「円空vs木喰」「歌麿vs写楽」など、
どれも日本美術界の個人決勝戦のようで、
作品を単体で展示するよりもビリビリとした緊張感が発せられているようだ。
本物同士というのはやはり凄いのだと再確認したよ。
どっちが「金」でどっちが「銀」なのかは、お好み次第でってことで。


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2008/08/15(Fri) 06:30  「悔いはない」
「悔いはない」
「世界との差はまだまだあるが、
 自分たちの戦い方に悔いはない」な〜んてことを、
サッカー五輪代表を率いた反町くんは言ったんだねぇ。
出場権を得るための予選から声を枯らし、
わざわざ中国まで駆けつけた多くのサポーターたちが、
あれだけ落胆し、日本サッカーの将来を憂いているのに。
まちがっても言っちゃいけないよ「悔いはない」なんて。
そんな反町く〜んの世迷言と同じ紙面の隅には
「最後はコミュニケーションもバラバラだった」ともある。
そりゃそうだ、カントク様がそれを判ってないのだから。

自分も深〜く落胆した者の一人ですよ。
仕事が忙しかったので影響が出ちゃいかんと思い、
試合翌日の新聞なども目を通さずに数日分溜めておいたんですけどね、
ちょっと一息つけるようになったので読んじゃいました。
でも大失敗だよ、こんなコメントを見つけちゃうなんて。
アホなんじゃないか、日本の指揮官は…。
「自分の言う通りに動かないから負けるんだ」と言ったトルシエや、
最後まで「選手の独創性を信じきった」と語ったジーコの方がまだいいよ。
反町く〜んも、こんなトンデモ発言しちゃうくらいなら、
それをウィットと意味不明をこねてサラッと言えるオシムくらいにならないと…。
う〜ん、こんな風に傷口に塩をぬるようなチームづくりを
これまでず〜っとやってきたってことなんだろうねぇ。
その元凶らしきものが言葉として立ち現れてきたのがこのコメントだ。
監督の思想も選手の努力もすべてが温室の中のことだったってことか…。
汗もかいて手間暇かけて育ててもらったんだろうけど、そこは温室だよ。
でももう、自分たちはブランドフルーツじゃないってことが判ったんだから、
今日からは道ばたの雑草として再出発してくれないだろうか?
その道を歩けばサポーターの気持ちも判るってなもんだ。
あぁ〜、ワールドカップ予選も心配だなぁ…。


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2008/08/11(Mon) 08:13  なつやすみ 08
なつやすみ08
夏休みぃだの、オリンピックゥだのといったムードに
まったく関係ない忙殺の日々と格闘中だ。
3日を2日として回している状態なんだから、
集中して少しでも原稿を書いていけばいいのに、
ヒトはそんな風に合理的には出来ていないんだよね。
突然思い立って、信州産の玄そば粉を買い求め、
そば打ってシャワー浴びて酒を飲むことにした。
わずか数時間の夏休みだったけど満喫したよ。
のどの向こうにすべり落ちていく涼…、至福だねぇ。
辛口の酒が合うよねぇ…。夏だ、夏だ!

今回のオリンピックには今まで以上の胡散臭さを感じていたのだけど、
開会式に各国の要人と称する「政治的VIP」が集ったり、
紛争地域で開戦してしまったりする状況を見ると「やっぱりな」という感じだ。
オリンピックに招待される各国の要人というものが、
どうして政治家になってしまうんだろうね?
世界各国のスポーツ界のスーパースターや功労者でいいだろうに…。
ミスターがいて、イチローがいて、朝青龍がいて、貴乃花親方がいて、
武豊がいて、高橋尚子がいて、さらにアントニオ猪木がニヤついている。
そんな日本チームの応援VIP席が見てみたいと思うのになぁ。
世界中のスターたちが集まってくれた方がどれだけ平和か……。
あ、朝青龍関はモンゴルでしたね…、失礼。


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2008/08/04(Mon) 16:54  マンガから教わったこと その2
マンガから教わったこと2
いわゆる「どんでん返し」のストーリーを書く時に
いつも思い出して参考にするのはマンガだ。
アニメ「ルパン三世」のファーストシリーズ第4話、
「脱獄のチャンスは一度」のエピソードが先生なのです。
脱獄をするためのアイディア、その一瞬のひらめきと
成功させるために積み重ねる時間と執念。
そしてラストに切り出される奥の手…。
原作では「脱獄」というタイトルで描かれていて、やはり見事。
この、わずか3行分のことを知っているからこそ、
「どんでん返し」ものを何本も書くことができたのです。

これは有名なエピソードだから細部まで覚えている方も多いことでしょう。
ルパンは銭形警部に屈辱的な逮捕のされ方で捕まってしまう。
「殺そうと思えば殺せたのに…」という屈辱。
その悔しさが、次の瞬間、一瞬のひらめきに生きてくる。
この時の「一瞬の思い」そのルパンの表情は最高の描写です。
そして、その気になればいつでも脱獄できるはずの監獄に留まり続ける。
同時に、このエピソードは銭形警部の心情の揺れも並列的に描いていきます。
ルパンを逮捕するのが生き甲斐としての日常が、
ルパンの死刑執行日が来ることで永遠に失われてしまう。
この心の揺れもまた絶妙です。
どこかでルパンが脱獄することを望んでいる銭形。
そうすればまた彼の生き甲斐は光を取り戻すはずなのです。
しかし、それは悪を望むことになってしまうので銭形は葛藤する。
人間は善と悪を備えた不完全な生き物であることの悲しさ…。
それが描かれるからこそ、このエピソードは美しいのです。
蛇足ですが、映画「ユージュアル・サスペクツ」を見た時に
「これってルパンのこの話しのパクリじゃんと思ってしまいました」
……多分ちがうんでしょうけどね。


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2008/08/04(Mon) 16:53  マンガから教わったこと その1
マンガから教わったこと1
8月2日に亡くなった赤塚不二夫さんは、
かつて自分が作り出したキャラクターたちについて、
「誰も見たことがないギャグを描きたかったからだ」と語った。
この言葉は今もボクを支えてくれている。
彼が描いたキャラクターは、どれも理屈抜きの造形に
ズルさや愛らしさ、狂気が宿っているスターたちだ。
彼らの行動がまぶしいほどのギャグとして輝いたのは、
まだそんなに狂気と共存していない時代だったからではないか?
無差別殺人や偽装など多くの狂気と共にある現代では
もう輝かないのでは?と思ってしまうことが恐ろしい。

まずはご冥福をお祈りいたします。
そして、ありがとうございました。

赤塚さんのギャグとキャラクターは、
いま思い返してみても世界で彼しかやっていないことが多かったように思う。
手塚治虫さんが「生と死と人間」を描いてきたとするならば、
その道はインドやギリシャ、中国などの古典文学や思想の延長だ。
同様のコンセプトを思い描いていたのは彼だけではない。
でも赤塚さんのコンセプトは違った。
「世界で唯一のギャグ表現がしたい」という単純明快で果てしない願望だ。
個人的には、これはモノづくりをする上での最上級の目標だと思う。
「世界で唯一のものを作る」
いまこの瞬間もたくさんの人がそれを目指しているだろう。
自分もまだまだ、その思いは捨てられない。
まだまだ。


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