万年筆で書く
日々見て、ふれて、感じたことを、ウソのつけない筆記具で。since 2007.Feb.
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2011/12/31(Sat) 15:24  同じでなければちがうのだ。
同じでなければちがうのだ。
「生きることとお金をかせぐことはイコールだ」と言う人がいる。
確かに、その二つは大部分が重なっている。
実際自分も、それらがピッタリ重なり合っていないことを知りながら
「めんどくせェからイコールでいいや」とすら思っていた。
だけどそれらは確実にちがうものだった。
今年思い知らされたお金の象徴は原発だ。
高エネルギーは国を支える。確かにそうだろう。
「裕福に生きる」ためには必要だが、「生きる」ためにはどうか?
お金とそれによるものに依存しすぎず幸せに生きる……。
だからずっと考えていた「自分にとってのその幸せは何だ?」と。
心にズシンとくる答えには出会えていない、年が明けてしまう。

ただ、今年を越えようとしている時の上に生きていられることは
本当に幸せなことなのでしょう。
日付だけは過ぎていって、今日12月31日を迎えてはいますが、
ボクらの中にある時計は3月11日から動こうとはしない。
本当の意味で、3月12日がやってくるのは何十年先のことになるのか?
誰もそのことに答えられないまま、未だに長い一日の中にいる。

答えのないことは起きてしまう。
有史以来、人類はそのすべてを受け入れてきた。
それは本当に仕方のないことだったからだ。
でも、「生きる」ことと「お金」の話しは別だ。
まだまだ考える余地も時間も想像力も十分にある。

「多少貧乏になっても助け合っていけば……」という一元的なものでなく、
「お金に依存しすぎないボクの生き方」や「あなたの生き方」。
幸せのカタチは人それぞれでちがうからこそ、
一人ずつの心にその問いかけの答えが必要だろうと思う。
そして見つけた答えを信じて自分の幸せのために歩み始める。

あの日までのボクらは、
曖昧な答えを盲信してその歩みを止めてしまっていた。
だから、忍びながら近寄ってきていた絶望に肩を叩かれてしまったのだ。
歩いてもいい走ってもいい、全力で動くその歩みを止めさえしなければ、
絶望に追いつかれることはないだろう。

ここまでは考えた。
あとは自分次第なんだ。
…………2011年12月31日。
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---------- 次元大吉(酌位・お酌) | URL 12/31 17:16 | edit
仕事納め後に師匠のブログを読みまして。自分にとっての幸せの形とは?と大晦日に考えながら実家に向かいます。いびつでも良いから味のある形にしたいと。その形をどうやって作っていくべきかは…来年考えます。良いお年を。


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